昭和42年01月13日 夜の御理解



 初の十三日会が、いつものように盛大に開かれました。色々な、新しい信心体験発表と同時に、新しい意見も出されたんですけれども。その中に、縦の繋がりという事よりも、本年は、横の繋がりにおいて、おかげを頂いて行こうと云う様な、それから、来たる2月から、今まで3時であったのが、30分早くして2時半に御祈念をして頂いて、そして、もう、正3時から、お話合いが出来る様にしようと。
 それやら、ここの組織の事についても、正式なここが教会という事になれば、壮年会婦人会、または青年会少年少女会と云った様な会が、正式に出来なければならない、表面だった会そこに沢山、椛目にゃ会があるけれども、その会はそのそれぞれの会に一辺入いるという事。例えば竹葉会とか、美登里会と云うのは、婦人会に入る。菊栄会という様なのは、やっぱり壮年会に入る。総代会の様なものもやっぱり。
 先生方の四日会も壮年会に入ると云う様なこれからの、椛目が本当にあの他の教会に、伍して進めて行く為のいろんな話合いもございましたが。その中にその御理解については、兎に角今年は一つ慎重におかげを頂いて、慎重に例えて云うならば、自分の現在頂いているというおかげを、もっと本当におかげをおかげと自覚しようと。例えば私共の家族で云うならば、家族の者がおかげを受けておるおかげというものは、もうそれこそ、筆舌には尽くされません。
 その筆舌には尽くされん程のおかげを頂いておる。成る程修行もしておりますけれども、その修行だけでは、済まされん。その修行が本当に有り難い修行にならなきゃ駄目、こりゃもう家庭の中だけでも、そうなんだ。ですから、そこんところが分かりもせずに、只次ぎの願いをする事はです、丁度橋の上に立っておる犬が、自分のくわえておる魚の影が、下の川に映るでしょう。
 それを又捕ろうと思ってワンと吠える様なものだと、神様が仰るですから自分の持っているそのおかげまでも落さなければならない事になって来ると言う事です。一つ間違うたら。ですから現在今日まで、頂いておるおかげという事をです、まちっと本当に思うて見てです、真剣に信心を頂こうと。例えば私共がそこんところに信心のおかげを分らんなりに、例えば合楽の教会合楽合楽とこう、その云うて只掛け声だけ、そのあちらに移るためには、内容の信心が必要だ、必要だと云うて居るだけではそりゃ駄目だと。
 やっぱり合楽、合楽と云うおかげを願っておる様なもんだ。それよりか、現在、椛目で受けて来た、ここ16年間のおかげと云うものをです、振り返って見て、もう本当に、筆舌に尽くされぬおかげを頂いておるという事をです。もっともっと有り難く判らして頂いたら、現在の修行が有り難いものになって来るだろうと。成る程、只普通から云うなら成る程、苦労であろう修行である。
 けどもその只苦労修行と云っておるだけではなくてです、それがおかげこれまでのおかげを頂いておるのであるから、このおかげに対してという事が、現在頂いておるおかげを、先ず味わえと云う事なのである。わんと大きな口をあけるなと言う事。現在まで頂いてきておるおかげを味あうと言う事を、先ずおかげを頂きそのこういう味わいのおかげを頂いておるという事を有り難いという心で修行さして貰い、有り難いという心で合楽に移らなければならない。
 これは、例えば家族だけの事でも、そうなんである。全体の者が今年はそう云う様なところに、やはり自分の頂いておるおかげというものをです。本当に信心を深めなければ、頂いておるおかげというものは、実感的に判りません、不思議に振り返って見ると、あれもおかげ、これもおかげとこう、云うて居るだけでは喜びはついてきません。自分が信心を本気で深めさして頂くと。
 いわば、今まで気がつかなかった様なところまで、氷山の一角と云われる、其のほんの、その根の方に沈んでおるところの、根の方にあるところの大きなおかげに気づかして頂く時にです、本当に心から有り難いというものが頂けて来るという事になるのです。私、今朝もじゃない、今日、13日会に対する、そうした御理解を頂きながら、本当に、椛目全体という前に先ず、大坪の家の者自体が。
 現在まで、今日まで頂いておるおかげをおかげと本当に気づかして貰って、其のおかげに対しての修行が、喜びを持ってなされる時、現在の修行はきつい修行じゃない有り難い修行という事になる。それがそのまま合楽に移っていけれるならば、移っていけれる私は内容だというふうに、今日は感じた。どうぞ一つ本気で今年こそは現在自分たちの頂いておるおかげというものをです、も少し本気で、味あわなければいけない。
 もう私はいつも御結界へ座ってから、もう思う事なんですけれども、子供たち、家内たち、家族の者がです。例えばもう、その頓狂なキーキー声やら出される筈はないです。ほらもう、今度は、あちらへ広うなるけん、だあれも聞こえん、裏の方で呼びよるなら、もう、どげん火のおらびしたっちゃ聞こえんかも知れん。もう現在は、もうそこで勝手の方で、ほらもう朝でも、何でも、子供達をお起こしよる具合というものがです。
 とてもとてもほんにまあ、ここん子供さん達は、よう云う事聞きなさらんという事も、可笑しいなら、それを野おらびしよる親たちも可笑しいです。だから本当に子供達にも自覚させなきゃならんと同時にです、もう本当に起こすなら起こすごと、火のおらびせんなり、まいっちょそこまで行って、何辺でん起こすよりか、一辺行って、それこそもっとらっと言うちから起こす。
 又子供たちもそこのところ、良く判らしてからせにゃ、とてもとても、あれが本当にそれこそ、筆舌にも尽くされん程の、おかげ頂いておる家庭の者、お広前の者とは言われもせん、思われもせん。先ずそう云う様なところから、私は、おかげを受けていかなければならんだろうか、こりゃもう大きい子供達でも同じ事。そのおかげを思うたら、とても朝の御祈念にでも。
 出て来んと云う様な事は、とても居られん、そんなこっちゃ。相済まん。それこそ皆さんがあれだけ一生懸命におかげを頂いておられるのに、先ずだから、私から云うならば、先ず家族から、そして、それが一つの手本にでもなる様なおかげを頂いてから、皆さんのそれをおかげを受けられる時に、私は、椛目の信心というのが、いよいよ、本当のものになってくるんだという風に思うんですけどね。
   どうぞ。